僕はタクシーに轢かれました。
ガチです。
2009年6月に轢かれました。
H駒交通のセダンに轢かれました。
今でも轢かれた後のことは覚えてます。
大変でしたが、おそらく轢いちゃったタクシー運転手・会社の方も大変だったろう。
今、自分がタクシー運転手になって、改めて思います。
タクシーに轢かれた自分が、
まさかタクシードライバーになるなんて… とも。
汗
タクシーに轢かれた経緯
2009年7月某日に、バイクで上野の仕事場に向かってた時に起こりました。
以下、大体の事故現場。
目白通りの、学習院大学手前あたり。目白駅は超えてたと記憶。
僕がバイクで東方向に左車線を走ってて、
右車線の前を走るタクシー(H駒交通のセダン)が、
道の左端に手上げ客みつけて猛スピード&ノールックで左寄せ。
僕はバイクで減速したが、間に合わずタクシーに衝突。
そして、
僕は吹っ飛ばされて、
バイクがスライディングしていくのを見た記憶あり。
僕が腕と肩を痛打してうずくまってるところ、
警察もきてタクシー運転手のオジが
「何が起こったかわからない」と警察に言ってるのが聞こえてきて。
「見てねぇからだろ!」と叫んだ記憶あり。
そして僕は、
動く右手で携帯電話を取り出し、職場に電話。
「すいません。車に轢かれてこれから救急車乗ります。仕事行けないと思います」と連絡。
救急車で搬送
救急車で近くの目白病院に搬送。
即、緊急処置。
(しかし、骨折の手術は医師のスケジュール問題で数日後に。激痛が続いた。)
足も痛めました。
左腕の骨折と、左肩の打撲が超ひどかったです。
手術→長期入院
手術後の感じ。
左前腕は手術してボルトいれて痛みは一旦落ち着いたんですが、
打撲してる左肩がずっと激痛。
痛み止め飲みながら毎晩激痛に悩まされてました。
痛くて全然寝れない。
散々な事故処理を…
相手方タクシー会社(H駒交通)の事故係の人が病院きた。
「(バイクが)加速したから事故になった」みたいな言い方されて、激怒。
ドラレコ見せろ、コノヤロー!的な気分に。
その後、
相手方運転手のジイさんも、一度病院こられて頭下げられた。
気の毒には思ったが、こっちは重傷。
一ヶ月くらいの入院後、ようやく退院。
退院後、目白警察署で事情聴取へ。
「完全な貰い事故だと思いますよ」と警察の方も。
そりゃそうでしょうねぇ。
ちなみに、僕の乗ってたバイクは廃車になりました。
入院中の食事は…
お腹すいたら、適当に食べてましたが。
なんせ外傷なんで。
2年半にわたる通院生活で…
退院後も延々通院してリハビリ。
手術から1年後にボルトを抜く再手術。
そこからのまたリハビリ。
なんだかんだで、左腕は動くようになりました。
(神経は切れてなかった。当分動かなかったですが。)
最終的に2年半たってようやく症状固定に。
結果的に、体で稼いだわけだが…
で、思いっきり貰い事故だし、相手方タクシー会社に弁護士通じてやり取りしてもらって、
治療費・慰謝料・諸々弁償(バイク・服・など等)・云々で、最終的にだいぶお金もらいました。
2年半通院したしなー。
(ただ、最初の担当弁護士さんがテケトーで困った。退職になって担当変わってなんとかなりましたが。)
自分の任意保険会社は、弁護士特約とかついてても自分で言わないと付けてこないので、
もしこういう事態になったらご注意を。
人生の過渡期タイミングでもらった大事故・大怪我だったので、
怪我は大変でしたが、
睡眠時間もドーンと取れたし、
ゆっくり今後を考える時間もとれたし、
休業補償・慰謝料などでお金も随分助かったのが現実。
体で稼いだなー。
まさか自分がタクシー運転手側になるとは…
といったことが2009年にありました。
(通院やら完全示談まで、全部終わるのに3年強かかったわけですが。)
自分も大変な経験をしましたが、
相手方のタクシー運転手ジイさんも大変だったと思います。
(春駒交通の事故担当のオヤジには怒りました)
2024年に今後は自分がタクシー運転手になり、
自分が轢かれたことを教訓にしっかりと事故防止していかないと、
いつ自分が加害者側になるかわかりません。
とはいえ、
タクシー運転手に転職して現状うまく回ってるので、
やっぱりなんだかんだ自分はタクシー関連で稼がせてもらってるご縁を感じます。
今後も地道に、安全に、やっていくしかないな、という感じで。
コメント
この目白通り、学習院大学近くで、
2025年1月29日にタクシー乗務中に、おかま掘られた!
ほぼ同じ場所で…
(過失割合ないので、気は楽だったが)
なんか、自分的鬼門なのかも…